
営業 第四営業事業部
橋本 佳奈Kana Hashimoto
2006年入社 外国語学部 イスパニア学科卒業

中学から大学まで続けたバスケットボールではつねに司令塔を務め、「長年の習性で『さまざまな個性をまとめ、チームとしてモチベーションを高めよう』という意識が自然と身についたのかもしれません」と語る橋本。その能力は就職活動中に参加した、NECエレクトロニクスの仕事体感セミナーでも如何なく発揮された。「“数年後のケータイを企画する”グループワークだったのですが、初対面同士のメンバーでもできるだけ意見を出してもらおうと、半導体知識もないくせに、その場を仕切ってしまいました」。入社1年目にして、最も要求が厳しいと言われる大手自動車メーカーの営業担当に大抜擢されたのも、こうした橋本の素質が買われたからだろう。
海外にこだわっていた私にまさかの配属。
今なら、それが私のためだったと確信できます。
「どうして私なんですか」――入社初日、私は涙目で受話器を握りしめ、人事担当の方に訴えていました。伝えられた配属先は名古屋。かねてから海外営業の部署を強く希望していた私にとって、まさに“青天の霹靂”だったからです。今思えば、なんとも恐いもの知らずの新人でしたが、数時間後、人事担当の方から電話が。「配属を決めた営業事業本部のトップは、『橋本さんには、海外に羽ばたく前に国内の重要拠点である名古屋で経験を積んでもらいたい』と言っていましたよ」。
新入社員の泣き言を汲んでわざわざ確認し、知らせてくれるなんて――。これが、この会社の懐の深さに驚かされた最初の出来事でした。
そもそも、私が海外営業にこだわっていた理由は“異文化コミュニケーション”の体験が胸に深く刻み込まれていたからです。高校1年生のときのアメリカへのホームステイ、大学でのスペイン語専攻、そして大学を休学しての中南米縦断旅行――これらの経験を通じて、知らない土地で、異なる文化の人たちと触れ合うこと、そして彼らから一人の人間として受け入れられることの喜びと感動を、身をもって知りました。
就職活動にあたっても「海外と深く関われる仕事」をキーワードに、メーカーや商社、物流会社などを訪問。そのなかで、次第に“モノづくり”にも魅力を感じるようになってきた私は、半導体メーカーであるNECエレクトロニクスの説明会に参加。半導体についての知識はほとんどなかった私ですが、世の中に新しい電子機器や機能を生み出し、さらに進化を続けていくという半導体の価値。また、そうした新しい価値をお客様と一緒に創造していくという仕事の魅力を知り、「これだ!」と直感し、ワクワクと胸が躍ったのを覚えています。
今にして振り返ってみると、会社は私のこうした思いはもちろん、適性や将来のキャリアなどをすべて考慮したからこそ、名古屋で経験を積むチャンスを与えてくれたのだと確信しています。
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重要顧客に体当たりでぶつかり、
戸惑いながらも少しずつ営業の役割が見えてきました。
本社での1ヶ月の新入社員研修を終ると、いよいよ名古屋へ。名古屋といえば、日本を代表する自動車メーカーの本拠地。それだけに、当社の注力分野である車載デバイスの最前線であり、会社全体を牽引するエリアです。言葉どおりの「重要拠点」ぶりに気を引き締めつつ、さっそくその大手自動車メーカーの営業担当として、進展中だった次世代車載LAN用通信プロトコルの開発プロジェクトに加わることになりました。
営業の仕事とは、お客様と社内を結ぶ“橋渡し役”です。お客様の要望を理解し、社内の開発スタッフに正確に伝える。お客様の望むスケジュールを達成できるよう、社内の各部門の状況を管理する。また、それらの実現が困難な場合は、どうすれば達成できるか、どこまでなら達成できるかを社内で協議し、お客様と交渉することが求められます。とはいえ、こうした役割がはじめから理解できていたわけではありません。配属当初は、まさに右も左も全くわからない状態で、一緒に仕事をする先輩や上司に支えられながら、仕事の進め方を学んでいきました。
そして半年後、ようやく仕事に慣れ始めた11月に、上司から「あとは任せた」という驚きのセリフ。お客様との打ち合わせにも一人で伺うことになりました。重大プロジェクトの顧客対応窓口を新人に委ねるなんて、「この会社こそ恐いもの知らずでは…」と震えているヒマはありません。体当たりでぶつかり、時には戸惑い、叱られながらも、一つひとつやるべきことに取り組んでいくうち、自分の果たすべき役割が少しずつ見えるようになったのです。
人と人をつなぐための小さな積み重ねが実を結ぶ。
これほど嬉しい瞬間はありませんでした。
営業の仕事では、開発部門とのコミュニケーションも大切な仕事です。タイトなスケジュールの中でも、連帯感をもって意欲的に仕事に取り組んでもらえるよう、日々自分から働きかけるようにしてきました。そうした日々の積み重ねが、お客様と当社との関係や、社内の連携を円滑にすることにつながるからです。
ある日、お客様から開発上の工夫をお褒めいただいたとき、とっさに浮かんだのは「この感激を開発に関わった社員全員と分かち合いたい」という思いでした。そこで、お客様の提案に甘え、「お褒めの言葉」をメールで送っていただき、社員全員に転送。数時間後、私のメール受信フォルダに届いたのは「力になった」「元気が出た」という返信の数々でした。
また、プロジェクトが一区切りつき、社内での打ち上げを行った時のこと。厳しいスケジュール対応をお願いしたことのある一人の社員が私に近づいてきました。「あのときのことで怒られるかも…」と覚悟を決めた瞬間、「いつも橋本さんの気遣いのあるメールに救われたよ。橋本さんがいなかったら、このプロジェクトは進まなかったかもしれないね」と笑顔で言ってもらえたのです。私のやってきたことが人と人をつなぎ、実を結んだ――。あまりの嬉しさに胸が震え、涙が溢れてきたあの思い出は、これから先も忘れることはないでしょう。
今の仕事はすべてが“異文化コミュニケーション”。
この場所でもっと自分を鍛えていきたいです。
「橋本さんにお願いしたいんだけど――」最近では、お客様からこんなお電話をちょうだいすることも増えてきました。これもお客様に信頼していただけているからだと思うと力が湧いてきます。また、入社当時の自分からは想像もつきませんが、技術的な知識も少しずつ身についてきました。それにともなって、プロジェクトの技術的な先進性や社会的な意義が理解できるようになり、「私も未来の車づくりの一端を担っているんだなあ」としみじみ感じています。
もっとグローバルに仕事をしたいという気持ちは、今でもあります。でも、今までの仕事を通じてわかったことは、お客様や開発部門との話し合いや交渉も、「立場や考えの違う人々とのコミュニケーション」であり、そこには私が求め続けていた“異文化コミュニケーション”の喜びが詰まっているということ。つまり、多くの人たちと認め合い、協力し合いながらモノづくりをしているという今の仕事こそが、私が入社前に描いていた理想の仕事にほかなならいのです。ですから、もっとこの場所で自分を鍛え、この仕事を極めていきたいという思いが、日に日に強くなっています。…これって、見事に会社の思惑どおりかもしれませんね(笑)。
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